かつてアムラーで社会現象を起こした安室奈美恵さん。気づけば、1995年の「太陽のSEASON」でのソロデビューから、20年を過ぎ「ベテラン」アーティストに。
2016年に行われたリオデジャネイロオリンピック・パラリンピックのNHK放送テーマソングとして安室奈美恵さんの新曲「Hero」が抜擢されました。
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安室奈美恵 プロフィール
本名 :安室 奈美恵(あむろ なみえ)
生年月日:1977年9月20日
出身地 :沖縄県那覇市
血液型 :O型
身長 :158cm
所属 :stella 88■ 安室奈美恵 公式サイト
http://namieamuro.jp/
安室奈美恵 結婚・離婚、息子との絆、母親事件の原因とタトゥーとの関係
安室奈美恵 TRFのSAM(サム)との結婚、そして息子を出産
安室奈美恵さん、1997年10月にTRFのメンバー・SAM(サム、本名:丸山正温)さんと、できちゃった婚を発表しました。この時、安室奈美恵さんが、アムラーと呼ばれた絶頂期であり、あまりに突然の発表だったため、世間にかなり衝撃を与えました。
その後、安室奈美恵さんは、1998年の5月に長男・温大(丸山温大:まるやまはると)君を出産します。
安室奈美恵 SAMと離婚、息子の親権はSAM・養育権は安室!
しかし、そんな電撃結婚を発表してからわずか5年。2002年の7月に安室奈美恵さんとSAMさんは、離婚を発表しました。
離婚後に、長男の親権はSAMさんで、養育権は安室奈美恵さんにというかたちが決まりました。
これは、息子の名字が変わってしまうことも気がかりだったようで、またSAMさんの実家の意向もあって、親権はSAMさんが持つことになったとのこと。
というのも、SAMさんの父親は、大病院の経営者だったらしく、しかもSAMさんの兄弟の3人がお医者さん。どうしても病院の跡取りが欲しかった丸山家としては、長男・温大君を丸山家に入れたかったようです。
しかし、安室奈美恵さんは納得いかず、2005年に家裁に申し立てをし、安室奈美恵さんは息子の親権をSAMさんから返してもらいました(息子は名前を安室温大へ)。
安室奈美恵 突然すぎる残酷な母との別れ、母親の事件の原因・真相
1999年3月、安室奈美恵の実母・平良恵美子さんが、再婚相手の実弟に殺害されるという衝撃の事件がありました。これは世間でも当時かなり大きなニュースになりました。
安室奈美恵さんの母親・平良恵美子さんは、最初の夫(安室姓)との間に一男二女(安室奈美恵さんは末っ子)をもうけます。
しかし9年間の結婚生活を経て、32歳で離婚(安室奈美恵さん4歳の時)。離婚後、安室奈美恵さんの母親は、昼間は保母さんをしながら、夜はスナックで働き、女手一つで、安室奈美恵さんら3人の子供を育ててきました。
その後、安室さんの母親・恵美子さんは、平良辰信さんという男性と再婚します(離婚から10年後)。
しかし、再婚相手の平良辰信さんの実弟・平良謙二と母親・平良恵美子さんとの間にトラブルが耐えなかったとか。特に、金銭トラブルや謙二の結婚相手を母親・平良恵美子さん夫婦が反対していたことなどが原因だったそうです。
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安室奈美恵さんの母親・平良恵美子さん殺害事件の犯行は、平良恵美子さんと夫の平良辰信さんと道路横断中に、平良謙二がいきなり車を突進させ平良恵美子さんをはねました。それでは致命傷にならないと思い、平良謙二は用意していたナタのような刃物で平良恵美子さんを何度も斬りつけたとのこと。
夫の平良辰信さんが平良謙二に対して鉄パイプで応戦したところ、騒ぎを聞きつけた近所の人たちが駆けつけ、犯人の平良謙二は逃走。
すぐに、平良恵美子さんは救急車で病院に運ばれたが間もなく死亡。その後、森で除草剤を飲んで自殺している平良謙二が発見されたとのこと。
平良謙二による平良恵美子さん殺害の動機・原因は、以下のようなことが考えられました。
夫である平良辰信の「弟には付き合っている女性がいたが、自分と恵美子が2人の結婚には強く反対していた。結局、その女性が身を引く形になったが、弟はそれを恨んで、自分と恵美子を殺そうとしたのではないか」という証言しか残されていない。
また「恵美子さんを巡る辰信さんと謙二との三角関係がこじれたなどと、さまざまな憶測が飛び交った。でも、やっぱり原因は “金” だったんじゃないかな。殺人とまではいかなくても、スターが出れば家族関係がおかしくなることは珍しくない。家庭問題で転落した芸能人もいた。それを考えれば、安室はよく立ち直ったと思う」(芸能レポーター)
しかし結局、被害者である平良恵美子さん、加害者の平良謙二容疑者が共に死亡してしまったことから、この殺人事件の真相は解かれず終わってしまいました。
(ちなみに夫であった平良辰信さんはこの事件から3年後に、“できちゃった婚” で一般の女性と再婚されたそうです。)
この実母・殺人事件は、安室奈美恵さん自身を大きく傷つけました。
そして事件から長い年月を経た後、
「本当に引退を考えたが、ファンのみなさんに支えられた。本当に感謝しています」
と、本人はあの頃の話を口にしています。
また安室奈美恵さん、あのときの出来事を忘れない為に “タトゥー” に、母への思いを刻んだのでしょう。
安室奈美恵 tattoo(タトゥー)の意味、母への思い
安室奈美恵さん、SAMさんとの離婚後、両腕にタトゥーを入れました。
安室奈美恵さんの左腕のタトゥーには、英文でこう書かれています。
JUN.30 in 1950
my mothers love live with me
Eternally in my heart
R.I.P
MAR.17 in 1999
これは、「亡き母への思いを自分の心と身体に刻み込んだ」という意味があるそうです。
1950年6月30日(母親の生年月日)
母の愛は私と一緒に生きている
私の心の中で永遠に
rest in peace(安らかに眠れ)
1999年3月17日(母親が亡くなった日)。
その思いが詰まったタトゥーの下には『HARUTO』と息子の名前も入れています。右手首には四葉のクローバーと安室奈美恵さん自身の誕生日をバーコードにしたタトゥーも入っています。
また、安室奈美恵さんの右腕内側には、『Love Peace World』と彫られています。直訳で、「平和な世界を愛す」です。これは、2011年に起きた震災後に彫られたと言われています。
安室奈美恵さん 親子の絆とtattoo(タトゥー)を消した真相
安室奈美恵さんは離婚後、息子を母親一人で育てることにしましたが、世間の意見はそう甘くありませんでした。
でも安室奈美恵さん本人は「周りにどう思われてもいい。私は息子のために歌い続ける」とインタビューでも発言していますし、実際に多くの子育てルールを決め、また、できるだけ息子の学校行事には参加したりするなど、息子と二人三脚で生活してきました。
安室奈美恵さん 子育てルール
・18時以降は仕事を入れない
・土日は仕事を入れない
・学校の送り迎えは絶対
・毎朝6時起床でお弁当作り
・ツアーなどで長く家を空けたらその後、息子と10日間程の旅行に行く など
安室奈美恵さんは、子育てに積極的で、また息子も安室奈美恵さんの大きな支えになっていたようで、彼女の楽曲の中に息子への想いを綴るなど、かなり絆が深いことも見られます。
そして、デビュー20周年と息子が高校生になったこと、母に対しての心の傷も癒えてきたとことなどが重なり、あのタトゥーを消すという決断に至ったのではと言われています。
この他に、タトゥーをを消したことの推測されている理由が、心境の変化や、クライアントへの配慮、独立による事情など様々です。
安室奈美恵さんのこの変化は、ファンにも大きな影響を与えたようです。心の傷が癒えてきているのは嬉しいという反面、あのタトゥーは、安室奈美恵さんのトレードマークでもあったので、とても寂しいという意見もあるようです。
どちらにせよ、安室奈美恵さん自身の中でなにかが変わったのは、間違いありませんね。
安室奈美恵さん、これまでいろいろなことがありましたが、これからも元気でいてほしいですね!