愛らしいルックス、ソフトな語り口、控えめで優しい人柄と性格で、1980年代を代表するアイドル歌手の一人となった菊池桃子さん。
菊池桃子さんといえば、デビューから芸能生活30年を超えて、女優や歌手などの芸能関係で活動する傍ら、芸能活動以外にも多方面で活躍されています。
菊池桃子 プロフィール
本名 :菊池 桃子(きくち ももこ)
生年月日:1968年5月4日
出身地 :東京都品川区
血液型 :B型
学歴 :戸板女子短期大学卒、
法政大学大学院政策創造研究科政策創造専攻修士課程修了
所属 :パーフィットプロダクション■ 菊池桃子 公式サイト
http://www.parfit.co.jp/artist/momoko/index.html■ 菊池桃子 オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/kikuchi-momoko
菊池桃子 芸能界デビューから結婚、そして離婚
菊池桃子さんの芸能界デビューのきっかけは一風変わっています。当時、菊池桃子さんの叔母が青山で飲食店を営んでいて、客として来ていた音楽関係者がレジに置かれていた菊池桃子さんの写真を見てスカウトしたのです。
菊池桃子さんは、将来は考古学者になる夢を持っており、芸能界にさほど関心はなかったといいます。
しかし、そのスカウトにより、1983年11月に学研のアイドル雑誌「Momoco」のイメージガールとなり、15歳でデビューを果たします。
菊池桃子さん、デビュー後まもなく清純派アイドルとして絶大な人気を博し、4枚目のシングル「卒業-GRADUATION-」から「アイドルを探せ」まで7枚連続オリコン1位の売り上げを記録するなど、1980年代を代表するアイドル歌手の1人となりました。
1988年から菊池桃子さんはロックバンド「ラ・ムー」の一員として活動するも、こちらは大コケしてしまいます。しかし、これが女優としての道を歩むきっかけとなり、結果的にはプラスに作用したと言われています。
菊池桃子 結婚と離婚について
菊池桃子さん、1993年にゴルフのプロアマ戦でプロゴルファーの西川哲さんとラウンドしたのをきっかけに交際をスタートさせ、1995年5月に結婚、そして1996年に長男を、2001年に長女を出産しました。
西川哲さんの父親は芸能プロダクションの会長、母親は歌手で女優の五月みどりさんです。
出産後、菊池桃子さんは一部のCMなどを除いて芸能活動を休止し、子育てに専念していました。二人の子供を授かり、幸せな生活を送っていると思われていましたが、次第に歯車が狂い始めます。
結婚当時、ゴルファーとして西川哲さんの年間獲得賞金は2000万円を超えていましたが、その後、成績は低迷し、10年後の2005年にはとうとうゼロになってしまったのです。
西川哲さんはやむなくレッスンプロに転向するとともに、馬主でもある父親の協力を得て、一口馬主を募る投資会社を始めました。始めのうちは順調だったようですが、次第にその会社の経営は傾き始めます。
また、この頃から夫の西川哲さんは愛人を作り不倫をして、あまり自宅に帰らなくなってしまったと言われています。
それでも菊池桃子さんは、西川哲さんの事業資金を援助し、幼い子供達を育てながら西川哲さんの帰りを待っていたといいます。
しかし、会社の経営状況は悪化するばかり。大きな借金を抱えて、菊池桃子さんの援助も限界に達します。
そしてついには、自宅が差し押さえられる寸前という状況となり、このままでは一家が路頭に迷ってしまうと考えた菊池桃子さんは、子供たちを守るため、西川哲さんとの離婚を決断したのだそうです。
離婚の発表は、2012年1月でした。離婚に際して、西川哲さんに多額の借金があったため、菊池桃子さんは慰謝料や養育費の請求はせず、女手一つで子供たちを育てていくことに決めた、ということです。
菊池桃子 娘の障害と自身の難病について
菊池桃子 娘が脳梗塞で障害児に
菊池桃子さんの子供は、元夫・西川哲さんの間に、長男で大学生の幸秀(ゆきひで)さん、長女で中学生の小百合(さゆり)さんの2人です。
離婚して、仕事をしながら2人のお子さんを育てるだけでも大変なことですが、長女のさゆりさんは、赤ちゃんの時に脳梗塞を患い、左半身麻痺という後遺症を負ってしまいました。
リハビリの甲斐あって、今では歩くことができるまでに回復しましたが、依然として左手足に麻痺が残っているそうです。
さゆりさんは、小学校は有名私立小学校に入学したものの、学校生活に支障があったのか途中で特別支援学校へ転校を余儀なくされました。中学受験に際しても、障害を受け入れてくれる学校を探すのに大変苦労されたそうです。
そんな困難を乗り越えて、志望していた私立中学校に見事合格し通学しています。入学前、採寸のため学生服を着たさゆりさんを見て、菊池桃子さんはその成長ぶりに思わず涙してしまったそうです。
菊池桃子 流産の経験と難病のシェーグレン症候群を発病
実は菊池桃さん、第2子(長女出産前)を流産するという経験もしています。考えると、菊池桃子さんは、流産、長女さゆりさんの障害、元夫の女性問題、借金、離婚と多くの試練を乗り越えてきたのですね。
またその上、菊池桃子さん自身もシェーグレン症候群を患っていることを告白しました。
シェーグレン症候群とは、40~60歳の女性に発症例が多い免疫疾患で、ドライアイやドライマウスをはじめ、様々な症状をきたすとされています。
原因はウイルス・ホルモン・免疫異常などが考えられていますが、よく分かってないことも多く、治療は対症療法が中心とのことです。
ただし関係者の話によると、菊池桃子さんに関して「早期の発見で早期治療ができたことで、今は通常の生活、仕事をしております」とのこと。完治は難しいため、今後仕事や育児に支障を来さないか心配ですね。
菊池桃子 転身!大学院卒から大学教授に、現在は
菊池桃子さんは、元夫・西川哲さんの会社の経営が傾き始めるのとほぼ同時に、芸能活動を再開しています。その活動と同時に、法政大学大学院政策創造研究科に通い始めました。
そして、離婚を発表した直後の2012年3月に大学院を卒業、その5ヶ月後の8月には母校・戸板女子短期大学の客員教授に就任したのです。
大学ではキャリア教育についての講義を行っており、芸能活動と家庭を両立してきた菊池桃子さんのキャリアが活かされる形となりました。
また、菊池桃子さんは、NPO法人「キャリア権推進ネットワーク」の理事も務めています。このNPO法人は、労働者が自分の働き方を主体的に選べる『キャリア権』の普及を目指している団体です。
これらの活動の実績を活かして、全国各地で講演活動も行っており、今後はテレビでレギュラーコメンテーターの仕事も期待できそうです。
こうした菊池桃子さんの活躍ぶりから、なんと2014年の秋の内閣改造で入閣の噂も出ました。
これは、自民党議員の間で、当時の森まさこ女性活力・子育て支援相の後継閣僚として抜擢されるのではないか、という臆測が流れていることを産経新聞が紹介したものです。
背景には、安倍晋三首相が「女性の活躍推進」を掲げていることや、菊池桃子さんが森まさこ議員と活発に交流していることなどがあるようです。
そして、2015年秋から、安倍晋三改造内閣の目玉政策「1億総活躍社会の実現」に向けた具体策を話し合う「1億総活躍国民会議」の民間議員に、菊池桃子さんは選ばれました。
その後、2016年5月で「1億総活躍国民会議」の民間議員の任務を終了しましたが、2016年7月から文部科学省初等中等教育局視学委員に就任して様々な活動をしています。
菊池桃子さん、これまでいろいろな試練がありましたが、今後も益々活躍してほしいですね!