松原のぶえ 現在や夫の借金とドロ沼離婚騒動、病気と腎臓移植について

中学3年生の時にオーデションで北島音楽事務所にスカウトされ、1979年に「おんなの出船」でデビューした松原のぶえさん。第21回日本レコード大賞・新人賞をはじめとする各種歌謡曲賞レースで新人賞を数多く受賞し、1989年には日本レコード大賞・美空ひばり賞の第1回受賞者になりました。

演歌歌手活動だけでなく、テレビ朝日系の番組「愛のエプロン」(1999年~2008年)では、料理が下手なことを披露し、バラエティでも活躍されていました。

松原のぶえ プロフィール
本名  :廣原 伸恵(ひろはら のぶえ)
生年月日:1961年7月18日
出身地 :大分県中津市
血液型 :O型
身長  :160cmcm
所属  :のぶえオフィス

■ 松原のぶえ 公式サイト
http://www.nobue-matsubara.jp/

■ 松原のぶえ 主な楽曲
シングル:
演歌みち(1985年)・なみだの桟橋(1987年)・維新のおんな(1989年)・蛍(1990年)・朝顔(1993年)・霧幻海峡(2006年)・合掌街道(2014年10月1日)・能登みれん(2015年10月7日)
アルバム:
演歌みち・松原のぶえ全曲集・松原のぶえ名曲選

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松原のぶえ 夫の多額借金問題とドロ沼離婚劇

松原のぶえさん、結婚は1992年。 結婚のお相手は松原のぶえさんの当時のマネージャーでした。

マネージャーである夫の名前は、廣原直樹(ひろはらなおき)さんといいます。

その後、松原のぶえさんは、2002年に北島音楽事務所から独立をし、有限会社のぶえオフィスを設立します。

新事務所の社長には、松原のぶえさんの夫が就任するのですが、このころから夫婦の仲に亀裂が入ってしまうことになります。

夫は、松原のぶえさんの名義で1000万円もの借金を作ってしまったり、税金の滞納を続けてしまったりして、金銭問題のトラブルを作ってしまいます。

そんな状況になっている時、さらに夫は「中国遼寧省・大連で新人歌手を発掘する」という名目で中国での長期滞在し、雲隠れしている状態になってしまったため、松原のぶえさんの不信感はみるみると募っていったといいます。

当時は「夫に愛人ができ、愛人と過ごすための口実だ。」といった噂も立ちました。

松原のぶえさんは、「旦那は自分を妻ではなく、タレントとしか見ていない。」、「(夫のことで)知らないことが多すぎる。」などといった発言もしていました。


そして、2003年についに離婚が成立します。この離婚は松原のぶえさんが2003年に新事務所を作ってから、わずか1年後のことでした。

離婚会見は当初、松原のぶえさんが会見する予定でしたが、騒動の動揺が大きくキャンセルとなり、松原のぶえさんの実弟の廣原伸輝さんが「別々の道を歩んでいこうとの結論に達しました」とする松原のぶえさんのコメントを読み上げる形となりした。

たった1年で夫は多額の借金を作りまくっていたので、夫は松原のぶえさんのことを “金づる” としか考えていなかったのかもしれません。

離婚した夫が作った多額の借金は、松原のぶえさんがしっかりと返済したということです。


ただし、当時の多額の借金について、一部女性誌で、松原のぶえさんの浪費グセも報じられました。「借金漬けだというのに4年前に3600万円かけて自宅をリッチに改装。案の定、代金未払いで内装会社に訴えられています」。

また、デビュー20周年記念で開店したブティックも赤字。見栄で始めたのぶえブランドの着物販売も調子は芳しくないまま。 “自分の不幸まで話題にしてしまう演歌歌手” ともいわれました。

本当のところは、松原のぶえさん夫婦しか分かりませんが・・・。

ちなみに、2人の間には子供はできなかったようです。もし子供がいたら離婚できなかったかもしれませんね。

松原のぶえ 病気の腎不全、人工透析から腎臓移植へ

松原のぶえさん、もともと子供の頃から腎臓の機能に障害を抱えていたそうです。幼稚園の時に急性腎不全にかかってしまい、入院することになったそうです。

その後しばらくは腎臓の病気が表に出ることはなかったそうですが、2007年の46歳の時に風邪をこじらせたことにより肺水腫になり、そして再び腎不全になってしまい人工透析が必要な状態になってしまったそうです。

2008年の時点で人工透析は、週3日で1日4時間必要となり、コンサートなんかで地方を回るときにはその周辺で人工透析のできる病院を見つけ出して、そこで治療をうけるという過酷な状況だったそうです。

何より松原のぶえさんを苦しめたのは、今までのように喉が使えなくなり、声がかすれてしまった事。いつかは演歌歌手としての仕事ができなくなると、あきらめかけたそうです。


しかし、デビュー30周年となる年の2009年5月に、「体のことも含めて、悪いものはすべて吹っ切りたい」との思いから、実弟・廣原伸輝さんからの腎臓の提供を受けて生体腎臓移植手術に踏み切ります。

そして、この大手術は6時間に及びましたが、見事に成功を収めました。松原のぶえは約2週間で退院し、排尿も順調で、生活が一変したとのこと。

ちなみに、実の弟さんから、「腎臓をあげるよ」と腎臓の提供の申し出があったときは、松原のぶえさんは仰天したそうです。そして手術の話が進んでも、かなり悩んだそうです。体に影響は少ないとはいえ、臓器を一つ提供してもらうのは、やはり抵抗があったと思います。


その後、松原のぶえさんは腎臓移植で元気になりましたが、生体移植のための拒否反応を起こす危険性があるので、現在も免疫抑制薬物治療、つまり免疫抑制の薬を服用し続けているとのことです。

現在は松原のぶえさん、コンサート活動だけではなく、カラオケ教室も開催して演歌のすばらしさをみなさんに伝授するといったこともしています。これからも、元気で活躍してほしいですね!

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